今浦島モスクワ滞在記

〜普通の国になったロシアを歩く〜


2007.11.3

日露ビジネスセンター 代表  岩 佐 毅   
10年ぶりのモスクワ訪問

先日10月21日より花のお江戸ならぬ、大きく変貌するロシアの首都モスクワに数日間滞在し、在留邦人数名やキルギスタンの新規顧客先との面談協議、電気関連展示会視察などに駆け回り、紅葉深まるロシアの秋をたっぷり楽しんで帰国した。
10年ぶりの今回のモスクワ訪問でことさら強く感じたのは、ソ連崩壊後10数年で、ロシアはあらゆる面で、街並みも社会もごく普通のヨーロッパの国々に急速に近ずいているとのことである。
約30年前私が初めて訪問した頃のモスクワには、あらゆるところに共産主義を褒め称え、国民に団結を求める仰々しい垂れ幕や看板が立ち並び、地方都市に行けば必ずいわゆる"金日成"スタイルで手を高く上げたレーニン像が立つ広場があり、その町でもっとも立派な建物は赤旗を翻した共産党本部であった。しかし、そういった表面上の公式的様相とは裏腹に、ほとんどの人はいくら働いても一向に生活が向上しない憂さ晴らしに、ウオッカを浴びるように飲み、アネグドート(艶笑小話)を話しあいながら、疲弊しきった祖国の共産主義体制国家を嘲笑していた。とにかくその頃ロシア人たちは口を開けば、「コムニストたちがこの国を無茶苦茶にしてしまった!」などとこぼしながら不満だらけの暮らしぶりを吐露したものである。
しかし、ソ連崩壊から10数年の今、街を行き交うロシア人たちの表情は明るく、モスクワ中に趣向を凝らしたレストラン、カフェが開店し、あらゆる商品が溢れかえるショッピングセンターがいたるとこ
ろに開設されて大賑わいである。勿論共産主義賛美の看板や垂れ幕などはどこにもなく、郊外にある有名な民芸品やガラクタを販売する市場・ベルニサッシュではかつては尊敬の象徴として飾られていた卓上レーニン像や仰々しく然るべき建造物にとりつけられていた大型の金色の国章などの、いわゆる旧ソ連グッズが、単なるお土産品として無造作に販売されている有様である。
しかし、急速な資本主義化が進行する中で、大きな格差
や軋みも生まれており、すべて良いことずくめではないようである。赤の広場近辺を散策すると、以前は仰々しい帝政時代の建物だけが立派なグムやツムという国営百貨店があり、中をのぞくと日本では到底売れないような粗悪極まりない低品質の商品が並べられ、無愛想な店員さんがまるでてやるとばかりの横柄な態度で、客を睥睨していたものである
 


高級ブテイックやカフェ街に変身したクレムリン周辺

しかし、今はこの
グムもツムもすべて内部が美しく改装され、世界のブランド品がこれでもかこれでもかと並んだ高級ブテイックに変貌し、終日賑わっている。そして、周辺の通りには様々な趣向を凝らした洒落た商店やレストラン、カフェが続々開店されており、ロシア料理は勿論、中華料理、ウズベキスタン料理、チベット料理、そして人気の高い和食店、いわゆるスシバーがいたるところにチェーン店を展開しており、大抵の地下鉄駅前には喫茶店風のスシバーがあり中には24時間営業や食べ放題などの店もある。また今韓国、日本、ヨーロッパなどの外国メーカーの新車が飛ぶように売れており、いずれの新車も注文後1年以上の納期とのことで、インターネットではその順番を販売するビジネスまで現れているそうだ。
また市内中心部では続々旧式
ホテルが改装されたり新築されており、5ツ星ホテルでは安い部屋でも一泊500ドル=約6万円とのことである。
天然ガスや石油などのエネル
ギー産業の空前の活況に支えられて、ロシア全体も大きく変貌しており、正にロシア版バブル状態である。しかし、その一方で月間10000円〜20000円程度の収入しかない年金生活者や社会の変化に乗り遅れた弱者はばっさり切り捨てられており、『すべてよし』とは言えないようである。例えば市内中心部でベンツやレクサスなどの高級車が信号待ちをしている車列の中を、老婆がとぼとぼ歩きながら「老婆を助けてください」と窓をたたいて回る姿をあちらこちらで見かけたものであり、時折窓越しに何がしかのお札を恵んでくれる人がいると、老婆は胸で大きく十字を切って、「あなたに神の祝福がありますように!」と礼儀正しくお礼を述べて立ち去っているのを、毎日何回も見かけたものである。
さて、今回のモスクワ訪問の目的のひとつである中央アジア・キルギスタンの新規顧客先との商談を到着翌日行い、キルギスタンの状況を詳しくお聞きし、近々代表者を日本に招聘し、中古車、タイヤ、解体部品、建設機械などの輸出に取り組むことになった。天山山脈の麓に位置する人口300万人ほどのこの国は、国土の平均高度が海抜約700メートルもあり、首都ビシケクも海抜2000メートルのところにあるとのことで、市内の写真を見ると結構多数の日本車が販売されており、弊社の主要取り扱い商品にも然るべき需要がありそうで、これからの展開を期待している。

さて、到着翌々日はモスクワ郊外のクロッカスという
大型展示場を訪問し、電気関連機材展示会を視察した。この展示場では平行して多数の展示会が同時開催されており、お目当ての電気展では内外約50社程度のブースで様々な電気関連機材が展示されており、訪問者が熱心に展示物を視察したり商談を行っていた。しかし、以前私が環境関連の展示会に出展したこともある、市内中心部の別の展示会場(EXPO CENTER)の賑わいには比べようもないくらい閑散としていたというのが、偽らざる印象である。ただ、今後の国際展示会開催に関する多数の情報やビジネス情報満載の書籍や雑誌などが入手できたことと、会場を練り歩く美しいモスクワっ娘・コンパニオンたちと知己を得られたのは大いなる成果であった。
 



モスクワ放送勤務の"いちのへ友里"さんと歓談

また、今回モスクワ滞
在中には社団法人ロシアCIS貿易会モスクワ駐在事務所も訪問し、様々な情報を得ることができた。モスクワには現在各種企業の駐在員や家族が旧ソ連時代の約2倍の1500人ほど滞在しているそうで、事務所開設なども漸増しており、間もなく200社を突破しそうとのことである。
また、到着翌日にはモスクワ放送「ロシアの声」(日本語放送)アナウンサーとして赴任されて間もない"いちのへ友里"さん(東京外大ロシア語科卒、ミュージカル女優)という素敵な女性と、帝政時代そのままの由緒あるメトロポーリ・ホテルで夕食をともにし、生演奏をバックに素敵な音色を響かせるオペラ歌手の歌を聞きながら歓談し、楽しいひと時を過ごした。モスクワ放送局にはかつて戦前ソ連に亡命しロシア国籍を取得して女優をしていた著名な故岡田嘉子さんも勤務されていたことがあり、ナホトカで何度か岡田さんとご一緒して言葉を交わしたことのある私は感慨無量でした。その当時寒村であったナホトカのホテルで朝食時に出会い 、名刺を差し出すと、目の座った白髪の小柄な女性が「岡田と申します、名刺を持ち合わせておりませんので、失礼いたします」と静かに言われたのが脳裏に焼きついている。
また、滞在中モスクワ滞在すでに10年の山内秀人さん(大阪外大ロシア語科卒、通訳翻訳、貿易コンサルタント)にもお会いし、ウズベキスタン料理店などにご一緒し、大きく変化する最近の生き生きとしたロシア事情をお伺いし、とても参考になった。

いちのへ友里【Ichinohe Yuri】さん ロシア国営放送「ロシアの声」日本語課 URL http://www.ruvr.ru/

河北新報「ロシアナのロシアな話」http://www.kahoku.co.jp/kaleidoscope/index.htm
東奥日報「ハチュー」http://www.toonippo.co.jp/mailessay/ichinohe/
ロシア雑貨MARINKA 「モスクワ通信.RU」http://homepage1.nifty.com/comari/
 



外食産業大賑わい・林立する和食店
〜いたるところに簡易寿司バー〜

とにかくモスクワは和食ブームである。地下鉄を出て周りを見渡すと大抵"スシバー"という看板にお目にかかる。そこで、お寿司大好き人間でもある私は滞在中何回も色々なスシバーなる店にはいり、試食してみた。
スシバーは一見喫茶店風のつくりのところが多く、その一角に小スシコーナーがあり、注文するとロシア語べらべらのスシ職人さん(大抵アジア系民族の板前さんが日本風の衣装で稼動している)が素早く握ったスシが出てくる。妙齢の金髪女性などもマグロ
イカを盛んにほうばって歓談している。また、そういった軽食的なスシバー以外に本格的和食店が続々開店しており、すでに600とも800店舗とも言われている。その中でシンガポールで20店舗和食店を展開している日本人実業家が、現在モスクワに本格的和食レストラン4店を開店営業しており、来年にはもう3店を開店予定とかの勢いである。
そのうちのひとつ"いちばんぼし"を訪問して、この店で働くパトリス・ルムンバ民族友好大学卒で、すでに現地在住10年を越すという"美穂"さんとお話しでき、おいしいお寿司をご馳走になった。

 


モスクワに大規模ショッピングセンターを開設運営する賛栄商事株式会社(本社・大阪市)

地下鉄セミョノフスカヤ駅前に聳え立つ3階建て売り場面積1万平方メートルの大型ショッピングセンター"セミョノフスキー・タルゴーブイ・ツェントル"を建設運営するサンエイ・モスクワを訪問し、西川昌伸社長から約20年にわたるロシアとの積極的交流についてお話を伺い感心した。社長のご尊父の西川栄吉さんは、戦後ナホトカ周辺の捕虜収容所で辛酸をなめたが、様々な経緯で捕虜収容所長の人道的配慮で無事帰国を果たし、戦後ゼロから懸命にビジネスに取り組み大成功を収めたとのこと。そして、ロシアへの恩返しとして、ロシアの青年たち多数を(約300名)を日本に呼び寄せてビジネスの研修を行い、それが縁となりモスクワにご子息の昌伸氏を派遣し、ついにはモスクワに大ショッピングセンターを建設運営するまでに成長したとのことである。

現在ロシア人スタッフ
総勢700名を一人で率いる昌伸氏は、初期の頃に招聘した研修生たち側近に支えられて、スムーズに運営を進め、来春には隣接地に増建設中のビルを完成させ、売り場面積を4万平方メートルに拡張する予定と、目を輝かせた。
西川社長は「今がロシアはチャンスです!なるべく早くビジネスを始めてください。失敗もありますが、それがノウハウや経験となって蓄積し、必ずや成功のチャンスがあります」などとのメッセージをいただいた。

サンエイ・モスクワ URL http://www.semenovsky.ru/

 


大規模な地下鉄都市モスクワ
〜蜘蛛の巣状に張り巡らされた大路線〜

口1200万人と言われるモスクワは、地下鉄がとても発達した大都 市である。現在市内中心部は車の洪水状態で、いたるところで大渋滞が続き、地下鉄で移動するのがとても便利である。また、エスカレーターがものすごいスピードで動き、どこまで行くのかと思うほど地中深く降りてゆく。列車は旧ソ連時代のままの古い車両ですが、2〜3分おきに続々列車が到着し、たくさんの人々を迅速に運んでいる。なんと全長278.3キロメートルもあり、毎日800万人以上の乗降客があるというから驚きである。
私も今回滞在中ほとんど地下鉄で移動し、
様々な体験をしました。また、駅構内には色々な見事な装飾や彫刻があり、それらを眺めて歩くだけで、一日が過ぎるほどである。とにかく今回の10年ぶりのモスクワはとても楽しい1週間となった。最初はまるで浦島太郎状態で、あまりの変貌ぶりに驚きの連続であったが、次第に心も体も新生ロシアの現状に慣らされてゆき、帰国日にはまだまだしばらくモスクワに残りたいとしみじみ思うほどであった。



 


 

 

 


次回訪ロは12月中旬、雪のモスクワを満喫予定

本格的にロシアや周辺国とのビジネスを再開して、ようやく3年目となるが、ようやく年商も4億円に接近中で、カザフスタン、キルギスタンなどの中央アジア諸国からもまもなく続々と顧客が来訪し、有望な新規市場開拓が望まれる来年こそは、いよいよ勝負の年となりそうで、今回10年ぶりにモスクワの中心地「赤の広場」に立って再度決心を固めた。  
ところで、次回モスクワ訪問はクラスノダールの顧客先の中古自動車販売店拡張店舗開設記念日参加や、周辺都市に点在する顧客訪問のため、12月中旬ごろ予定しており、再度の"雪のモスクワ"訪問を心から楽しみにしている。
とにかく19歳で倉敷の片田舎から上阪し、神戸市外国語大学の門をくぐり、「日露文化、経済交流に寄与する人生を送ろう!」と決意した初心を貫徹して有意義な人生の幕を閉じたいと思う今日この頃である。
 


文章と写真はすべて岩
佐毅/日露ビジネスセンター代表による。
URL
http://www2.ocn.ne.jp/~nichiro/